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ビー球
さて、その日の夜、ようやくしょうこがはるなの部屋にやってきました。 「ったく、狭い部屋ね、取引相手を通すにしてはちょっと汚いんじゃなくて?」 はるなは今日のことで少し自信をつけたのか、強気でいきました。 「そっちこそ。あたしにそんな口きいて。別にあんたんところから買わんでもええもん」 しょうこは口をひん曲げた。 「それならインビーダマはいらないのね。」 「あかん! 約束したやん!」
はるなは慌ててしょうこに座布団をひいて、丁寧にお出迎えしてあげました。せっかく お父さんから取引、について教えてもらったのに、しょうこにはかないませんでした。 でもはるなが麦茶を用意してあげたので、はるなはしょうこに、払うお金を二千八百円 にしてもらいました。はるなはやったと思いました。 そして、うきうきとしながらしょうこのバックを見つめました。 「さてと。じゃぁこれあげるわ。そのかわり、いい。明日から、一週間三千円よ。」 「分かってる。二千八百円な。」 「やり方分かってるわね?」 「まかしとき。」
しょうこはもったいぶってなかなかはるなに渡してくれません。
「本当に出来るの?三千円。止めるなら今の内よ」 「売れるって!二千八百円!だってこんな綺麗なビー球やで?みんな欲しがるて。それに クラスの子らにちゃんと言ってあるもん。」 はるなはそう答えました。もう何にも怖くなんかありません。きっと二千八百円売って 見せて、しょうこを見返してやるのです。そして、おばあちゃんやお母さんやお父さんに、 誉めてもらうのです。はるなは宝箱から、あのビー球をそろそろと取り出しました。 「こんなに綺麗なビー球・・あっ!」 はるなは急に大きな声をあげて、黙り込んでしまいました。しょうこも近くによってき て、はるなの宝箱を覗き込みました。 「・・・・。さてと、じゃぁこれはあげるからね。一週間したらまた来る。」 しょうこは冷たく言うと、砂時計型のインビーダマをはるなの手に押し付けました。 「あ、ちょっと待って・・・」 はるなが言っても、しょうこは聞きません。来たときのように、窓からひょいと抜け出 しました。四月の終わりにしては、少し寒い夜でした。
次の日から、はるなは元気がありませんでした。何を言ってもろくすっぽ返事もせず、 何かを必死で考えているようでした。何人かがはるなにビー球のことを聞きましたが、はるなはますます険しい顔をして黙り込むだけでした。はるなの悪口を言った男の子も、ビ ー球のことを聞いてきましたが、はるなはそっぽを向いて何も言いませんでした。男の子 も何も言わずに、うそつきはるなを残して向こうに行ってしまいました。 はるなは、ランドセルをそのまま背負ってお店にやって来ると、おばあちゃんに挨拶 しないで、ビー球の中にうずくまりました。きらきら光るビー球が、はるなの目には痛々 しいのです。今日もいい天気です。今日もお店には人影がありません。お店に来る人はい ても、誰もはるなのビー球には目をくれませんでした。はるなは一人ぼっちの売り場で、 息を潜めていました。
「・・・はるな。はるな」 遠くで、誰かが自分の名前を呼んでいました。はるなはびくっとして、耳をすませまし た。そこではるなは思い出しました。お店にいるのは、いつも、はるな一人ではなかった のです。 「何?おばあちゃん。」 はるなは何だか情けない気持ちで、レジに向かいました。おばあちゃんは、いつも読ん でいる本に黒猫のしおりをはさむと、はるなに向き直りました。
「はるな?何かあったん?顔色が悪いで。おばあちゃんに、言うてみ?ん?」 はるなは、黙ってしまいました。でも、おばあちゃんの目を見ていると、急に涙がぽろ ぽろぽろぽろこぼれてきたのです。 おばあちゃんは何にも言わず、はるなの頭を撫でてくれました。はるなは、どんなにおばあちゃんに本当のことを言おうとしたか! でもはるなには言えませんでした。自分をあ んなに信じてくれたおばあちゃんに、こんなことはとても言えなかったのです。しかも二 千八百円だなんて。おばあちゃんならきっと怒らないでしょう。きっと一緒に考えてくれ るに違いありません。はるなはおばあちゃんに聞いてみました。
「おばあちゃん、ビー球の中に桜が入っていたら、みんな買ってくれると思う?」 「桜の入ったビー球。綺麗そうやな。もちろん買う。百円でも、五百円でも買う。おばあ ちゃんのころにはね、今みたいに綺麗な色のビー球なんてあらへんかった。おばあちゃん のお家も文房具屋さんやっててね。ビー球売ってたんよ。おばあちゃんも子供のころから はるなみたいにビー球売ってた。でもビー球なんてどこでも売ってたから、おばあちゃん もみんなが持ってないような綺麗なビー球が欲しかった。それをみんなに売ってあげたか ったんや。おばあちゃんの黒猫の目みたいなね、そんなビー球。」
はるなはうつむいたままでした。おばあちゃんは優しく言いました。
「はるな、困ったときは一回まわりを見渡してみるんや。はるなのまわりには色んなもん あるやろ。ここはおばあちゃんとはるなの文房具屋やで。そして、自分のまわりにあるも のを全部使って、そうしてがんばるんや。逃げ道なんかない。道はつくるんや。な?」 おばあちゃんはそう言って、うんうんとうなずきました。 「おじいちゃんがよう言ってたんよ」 はるなはしわしわの目をぎゅっとつむって、もう一度自分のまわりを見渡してみました。
「はるながんばれ」 おばあちゃんはまた、本を読み始めました。はるなの目から、一粒涙が落ちました。 お店は、いつも通りでした。扉についた小さい鈴、外にはあふれんばかりの春の日に、 そして終わりかけの桜並木。いつも通りです。何もはるなを助けてはくれそうにありませ ん。はるなの目から、もう一粒涙が落ちました。レジのおばあちゃん。おばあちゃんの本 と、黒猫のしおり。立ち並ぶ、筆箱、鉛筆、消しゴム・・・。はるなはひらめきました。
「おばあちゃん!」 はるなはおばあちゃんに言いました。 「あのね、後でお金払うから、欲しいものがあんの。はるなにくれる?」 「お金なんかいらんから、はるなの好きなようにしい。」 「ううん、後で絶対返すから!」
その日、一日中、はるなはインビーダマの前に腰掛け、ビー球の中の嵐を見ていました。 夕日の光ですかしても、お月様の光ですかしても、インビーダマの嵐は美しく輝きました。 そして寝る前には、作っておいたポスターを取り出し、ちょっと絵を直すと、(もともとあ まり似てなかったので、直すのは簡単でした)ランドセルの中に入れました。はるなはもう くよくよなんかしていませんでした。
それから一週間、正確にいうと六日間はあっというまでした。はるなのクラスメイトや 話を聞いた子供たちが、大勢ビー球を買いに来てくれました。えみちゃんと日高さんがポ スターを描いて、公園の掲示板にもはってくれました。日高さんはとっても絵が上手でし た。はるなは毎日大忙しで、宿題も手につかないほどでした。お母さんや先生には怒られ たけど、はるなはにこにこ笑っていました。おばあちゃんは何も言わず本を読んでいまし た。
やがて、一週間、正確には六日間がたちました。 だんだんお客さんがまばらになっていった夕方遅く、はるながお金を計算していると、 少し遅めの春風がはるなの髪を揺らしました。
「約束よ。三千円。払ってちょうだい」 「二千八百円や」 はるなは微笑みました。そして、意気揚揚と箱の中の百円玉を数えました。みんなたく さん買ってくれたんやなぁ。はるなはそう思いながら、慎重に慎重にお金を数えました。 しょうこは黙って片方の手でビー球をかたかたいわせました。そしてもう片方の手で、は るなが数え終わったお金をバックにじゃらじゃらといれていきました。 しょうこの手に、ふいにお金があたらなくなりました。しょうこは顔をあげました。そ してはるなをにらみます。 「・・・。」 はるなは何も言えませんでした。どうしよう。あと百円足りないのです。 「二千七百円」 いつのまに数えていたのか、しょうこは手をひらげました。はるなは俯いてしまいまし た。しょうこは目を三角にしてはるなに言います。 「あと百円は?」 「・・ない」 はるなは唇をかみ締めました。悔しくって悔しくって、また目がうるうるしてきました。 「どうするのよ」
お母さんに怒られているときみたいに、はるなはちぢこまって何も言えません。しょう こはふんと鼻を吹きました。 「どうやって売ったんだかいらないけど。まぁよく売れたわね。二千円も。あんなビー球。 不良品もいいところだわ」 はるなは体の中が熱くなりました。ついでに目頭も。百円くらいなら、はるなだってお 財布の中に入っています。けれども、涙がどっとあふれてどうしようもないのです。
「不良品とちゃう!ちゃんと桜の入ったビー球や!」 「不良品よ!桜の花びらが入っていても、枯れちゃうんじゃしょうがないじゃない。」
たしかにその通りでした。しょうこが来たとき、はるなのビー球の桜の花びらは、もう すっかり枯れてくしゅくしゅの茶色になっていました。綺麗くもなんともありません。む しろ汚いのです。はるながそれを見て、どんなにガッカリしたことか。 「じゃぁ見てみいよ!」 はるなはポケットからビー球を取り出して、しょうこに押し付けました。しょうこはそ っけなく手を開きました。そうして、そのまま止まってしまったのです。
確かにビー球の中に、桜は入っていました。それも花びらなんかではない、立派な一つ の桜が、透明なビー球の中にはかなげに咲いていたのです。夕日の差し込む店内で、 桜は赤い海に身を沈めています。それのなんと綺麗なこと! 「うわぁ・・・」 しょうこは窓から差し込む光に桜を透かしました。そして言いました。
「これ、いくらするの?」 「・・百円以上ビー球買ってくれたら一個あげんの」 「じゃぁ私が買うわ」 「えっ?」
しょうこは少し減ったビー球樽に手を入れて、一個一個じっくり見ながら、慎重にビー 球を選んでいきました。はるなはびっくりして、慌てて涙を袖でぬぐうと、ビー球選びを 手伝ってあげました。はるなの一押しで、しょうこは桜色のビー球を二つ買うことにしま した。後は、七色ビー球を一個ずつ。百円ぴったりでした。 色とりどりのビー球を両手のおわんいっぱいに持ったしょうこのために、はるなはしょ うこのバックを開けてあげます。あんなに何でも入りそうなしょうこのバックから、七色 と桜色のビー球が溢れそうでした。しょうこは急に百円分重たくなったバックを肩にかけ なおして、はるなに手を突き出しました。まだ払うお金あったっけ、とはるながびくっと すると、しょうこははるなの夕日のせいで真っ赤な目を見ていいました。
「じゃぁこれで取引は終了ね。またなんかあったら言ってちょうだい。ビー球部部長さん。」 「うん、ありがとうね」 はるなはちょっと照れくさくなりました。そして同じように真っ赤に光るしょうこの目 をちらっと見ると、爪のあとのついた自分の手をしょうこに突き出しました。
しょうこが春風のように行ってしまった後、はるなは長くなった夕日にビー球をかざし てみました。赤い海に沈む太陽のように、桜が赤々と光っています。はるなは、もっと色々 なビー球を作って、きっとおばあちゃんを喜ばせてあげようと思いました。いえ、まず、 おばあちゃんにちゃんと桜代と、ビー球代を払おうと思いました。
透明なビー球の中に、桜の形の消しゴムが今もなお咲き誇っていました。
end・・・・・・ |