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浦島 太郎
  ●●○

 

 

「浦島太郎になる気はないかい?」
 もともとつまらない人生だった。結婚も出来ず、親父が死んでからはおふくろに冷たくされるだけのしがない人生だ。友達はどんどんと一般的に言われる幸せな人生、つまりは平凡な、を歩んでは、いつのまにか俺のことを忘れてしまう。平凡で普通で、なんら特別だったことのない人生ですら、俺には訪れない。もって生まれたそのときから、平凡な顔平凡な性格平凡な能力。平凡すぎるこの名前。切っても切れないこの名前。
「浦島太郎になってみないかい?」
 太郎はその変なおじいさんをじっと見つめ、やみくもに頷いてみたのだった。
「本当にいいのかい?」
「えぇ」
「本当だね?」
「別に」
 念を押されれば押されるほど、太郎は大きく首を振るのだった。
「君は一切今の生活を捨てなくてはならないよ」
 今の生活がどうなろうと、そんなものどうだっていい。うんざりするだけの毎日だ。頷く太郎に、大きな帽子を被ったおじいさんはうむ、と頷いて見せた。
「家族にも友達にも恋人も、捨てられるのかね?」
 友達も恋人もあったものじゃない。おふくろ一人残すことになるが、俺と違っておふくろは、どんな世の中でも生き抜いていける強い女性だ。現に今だって、今のとおりだ。頷く太郎に、擦り切れた緑のズボンをはいたおじいさんはうむ、と頷いて見せた。
「それでは君の名前は?」
「太郎」
「すばらしい!」
 太郎はびっくりして大きなリュックを背負ったおじいさんを見つめた。おじいさんは手をパン!とたたくとはっはっはと大きく笑って太郎の背中をたたいた。
 太郎は何だか自分がすごくよいことをしたような気がして、口の端を少しあげて笑う。
「それで浦島太郎になるとはどういうことだい?竜宮城に行って好きなだけ食べて飲んで、陸に戻って一人ぼっち、おじいさんになってどうしようっていうなんちゃって老化プログラムかい?」
 いつぞやエステのビラ配りをしたことがある。半ば冗談でいうと、おじいさんの顔がすっと曇った。
「やはりいやか。そうであろうな、そんな酔狂な若者がおるわけがない」
 太郎はびっくりして慌てておじいさんに向き直った。人っ子一人いない、海辺。
「本当にそんなことが?」
「いや、そんなに悪いものでもない」
「ほう」
 太郎は興味を持っておじいさんを見つめる。おじいさんはゆっくりと太郎の横に腰を下ろした。その動作はまるで亀のようだ。
「上手く言えば、いや、正直に言おう。まず残念ながら、今すぐ竜宮城には連れて行けない。竜宮城にいけるのは、少し先だ。色々手続きがある。」
「むぅ、やはりそう簡単にはいかないか」
 苔のような色の上着を肩にかけなおして、おじいさんが頷いた。
「まず君に、少しばかり化粧をする。少しばかり衣装をかえてもらって、少しばかり演技の練習をしてもらおう。まぁ記憶喪失のような演技だ。数百年の時を経て、まさに今海岸から流れ着いたような若者の芝居だ」
「ははぁ、浦島太郎のふりをしろってか」
 やはりおじいさんは気が狂っているのか、と太郎の興味は一気に失せた。
「それからテレビに出てもらう。新聞の取材もあるだろう。インタビューもあるかもしれない。しかし喋る必要はない。ただぼーっと・・微笑むくらいならいいだろう、とにかくそれだけで、皆にちやほやされる、世界中の誰よりも有名になれる」
「そんな上手い話があるか」
 太郎はますます不機嫌になって、投げやりに言った。嫌なキャッチセールにつかまった気分だ。
「そのうちばれて、皆の前に恥をさらすのが落ちだ」
「そこは私たちが上手くやる。それにだ、名声を手に入れると、確かに危険も高まるし、君自身も疲れるだろう。そこでだ。それから先は、玉手箱を開けてくれれば、君はそれでいい。優雅な老後が約束される。何の心配も要らない。身の回りは全て、係のものが世話をする。少し早く年を取るだけで、後はいいことづくしだとは思わないかね?」
 おじいさんは巧みに太郎の肩をたたいた。太郎はむぅ、と少し首をひねっている。何の心配もなしに、ただ早く年をとるだけか。悪い話ではない。どうせ、死ぬ時は死ぬのだから、それなら人生楽なほうがいいではないか。何もしなくてもいいというのもなかなか魅力的だ。
 太郎の気持ちが少し揺らいだのを見て、おじいさんは畳みかけた。
「怪しく思うかも知れないが、君に一切の金もかけさせない。絶対に見捨てたりしないと誓うよ。君のようにこの役に適任な人間はそうそういないと思うんだがね。これは我々にとっても何十年も時を待ったとてつもないビッグプログラムなんだ。全力でやらせてもらう。君にも是非、我々の仲間に入って欲しいんだ。」
 おじいさんの熱のこもった話に、太郎の胸は高鳴った。こんなにも心から熱心に、太郎一人に語りかけてくれる者がいるなんて。彼らのよく分からない「浦島太郎」プログラムには、それもかなりの大事業になる予感、太郎が是非必要なのだという。もしかしたらこれが、太郎の持って生まれた宿命なのかもしれない。今まで何一つ世の中に貢献したことのない太郎の、社会に対する恩返しができるのかもしれない。太郎は頷いた。
「いいだろう。でも、まだ良く分からない。何をどうすればいいんだ?」
 おじいさんはにっこりと優しく微笑んで、太郎の手を握り締めた。
「少しばかりの練習のほかは、君は何も知らなくていいし、しなくていいさ。そうと決まれば是非もう少し詳しい話を聞いてくれるんだね。よしよし。何せこれは我々のビッグプログラムなのだから。」
 俄然やる気の出ているような太郎を見て、おじいさんはにやりと笑った。まぁよい人材が、いつの時代も浜辺にはいるものだ。この前の太郎はイマイチ世に訴えることもなかったが、今は大分地上も大規模なマスメディア社会となっている。これは危険を冒して機を見たかいがあったというものだ。しかしこの太郎、浦島太郎の話を本当には知らないと見える。どうだろう、教えてやったほうがいいのだろうか。そうでないと、ツルになったとたんショックのあまり早死にしてしまうかもしれない。それでは絶滅危惧連盟渡り鳥部長に、今度こそあわせる顔がなくなってしまう。あいつの顔は絶滅しくれたほうがよっぽど急逝心臓発作撲滅運動のためなのだが!
「ビッグプログラムか・・責任感じてしまうな」
 太郎は立ち上がった。おじいさんものっそりのっそりと立ち上がる。
「そうともビックプログラムさ。世界中の人類、いや生き物の将来までをも、君は担っているんだから。そうだ、これ、私の名刺だよ」
 そう言っておじいさんは、太郎に名刺を差し出した。

株式 RYUGU
      海環境保全部営業  亀田 

「あ、どうも。俺には名刺ないけれど・・太郎です」
 太郎は少し照れくさそうに頭を下げた。なかなかお人好の人間だ。おじいさんも何となく、このプログラムは成功しそうな気がしてきた。

 


 黒くにごった海の上を吹きぬけた風が、環境問題を叫んでいる。

 

 

20060208>>

ちょっとわかりにくいかも知れませんが・・
一度書いてみたかった浦島太郎プログラム(笑)

 

 

 

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