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ゴゴゴゴゴゴゴッ

 

 ■  □□
□□□□         トンネル

 

 僕は電車の窓にもたれかかって、もうすっかり暗くなった中を家に向かっていた。最終電車で、もう僕の乗っている車両の中には、僕と一人のサラリーマン風のおじさん、それから夜も遅いのにやかましく笑っている二人のOLらしき女の人たちだけ。それから勿論運転手さんもいるだろう。

 

電車は僕たちを乗せて、線路の上をがたがた走っていく。僕はその振動が心地よくて、いつものようにうとうとし始めた。サラリーマンの人が、少し派手な赤い携帯でメールを打ち始めた。ぴっ、ぴっ、という規則的な音が、電車の振動と重なっている。OL達の甲高いおしゃべりも、電車の振動がすっかり絡めとって、僕に快適な眠りを提供してくれるみたいだ。僕のまぶたはもうくっついてしまいそうで、目の前が真っ暗になっていく。

 ゴゴゴゴゴゴッ!

 いきなりだったもので、僕はかなりびっくりして飛び起きた。そうか、トンネルだ。いつもここを通るとき驚かないように身構えているつもりだったが、どうしてもあの轟音だけにはびっくりせざるをえない。電車の窓には、車内の電気がこうこうと映り、そして窓にもたれかかった僕がいる。

 ちょっと待てよ。僕はびっくりして目をこすった。僕は今、起き上がって電車の窓を見ているのに、電車の窓に映った僕は窓に頭をもたれさせて、のんきに揺られているではないか!

「おい、そこの僕。」

 僕は皆に聞こえないように小声で話し掛けた。しかしその心配はないようだった。なぜならサラリーマンはメールを打つのに夢中だったし、OL達のおしゃべりも最高潮に達しているみたいだからだ。

 窓の向こうの僕は、だるそうに顔をあげた。

「なんだい?」

「なんだいじゃないよ。」

 僕は軽く窓をつついた。いて、といった顔で、窓の向こうの僕は頭を完全に起こした。

「君、窓に映っているんだから、ちゃんと僕と同じ動きをしないといけないじゃないか。」

「へぇ。」

 窓の向こうの僕がびっくりしたように僕を見つめ返した。

「今日は不思議な日だなぁ。窓の向こうの僕に説教されるなんて。」

 僕もびっくりして窓の向こうの僕を見つめた。僕は今、二人?で同じ顔突き合わせている。

「これでいいんだよ。」

 僕は言った。

「僕と君と同じ。これでいいんだ。いつも通りだよ。」

「何を言ってるんだろうね。窓の向こうの僕は。」

 窓の向こうの僕は、窓の向こうにいる僕に向かって文句を言った。

「いつも通りでいいなんて。いつも僕の真似ばっかして飽きたから、今日みたいに僕のこと小突いたりしたんだろう。おかげで目が覚めちゃったじゃないか。せっかく今日はいい事があったのに。」

 僕は首を振った。

「何がいつも通りでいいなんて、だ。君が僕と同じ事をしてくれないから、僕はこうやって眠れないんだ。いつも通りでいてくれたら、今ごろ僕は夢でも見ていただろうに。今日は塾で嫌な事があったんだ。静かに寝かせてくれよ。」

「いよいよ窓の向こうの僕はおかしくなっちゃったみたいだな!」

 窓の向こうの僕が呆れたように首をふる。

「自分が小突いてきたくせに、窓の向こうの僕のせいで眠れないなんて。人の夢を邪魔しておいて、自分のこれから見るであろう夢の邪魔をするなんて言いがかりをつけてさ。そんなにいつも僕の真似をしてストレスがたまっていたのかい?おかしいな、僕はこんなに毎日楽しく過ごしているのに。」

「止めてくれよもう。」

 僕は窓の向こうの僕に向かって文句を言った。何がなんだか分かったもんじゃない。全く頭がこんがらがりそうだ。

「理論的に成り立ってないだろう。どうして僕が窓の向こうの僕に文句を言われなくちゃいけないんだい?」

「理論的だって!」

 窓の向こうの僕が素っ頓狂な声を上げた。

「そっちこそ、道徳的におかしいだろう。窓の向こうにいるくせに、僕に向かって文句を言って、さらに窓の向こうにいる僕に向かって、僕が文句を言っただなんて。ナンセンスだね。どうせトンネルに入ったときの音で飛び起きて、頭でもぶつけたんだろ。いい加減あのトンネルに慣れたらどうだい?何回通っていると思っているんだ?」

「君がボーっと寝込んでいるから悪いんだろう。」

「いや、いきなり文句を言ってきた君が悪い。」

 僕は窓の向こうの僕と言い合いを始めた。周りのことなんて関係ない。とにかくここは僕の方が正しいのだ。僕は窓の向こうの僕に向かって、言った。

「いい加減にもういつも通りに戻ってくれないか。」

「何言ってるんだか。君ねぇ。もうすぐトンネルが終わるよ。そしたらライトがあるだろう。君は自分が窓に映った僕だってこと忘れちゃったみたいだね。光があたると窓の向こうの僕は消える。一回消えればまた思い出すだろう。」

「僕が消えるだって!!」

 僕は窓の向こうの僕に向かって大きな声を出した。

「消えるのは君の方さ。だって君は窓の向こうの僕なんだ。僕は僕なんだ。君の窓の向こうの君じゃない。」

「訳がわからないよ。」

 窓の向こうの僕が泣きそうな声を出した。

「君とか僕とか窓の向こうとか。自分がどっちだかわからなくなっちゃった。僕は窓の向こうの僕の窓の向こう側で、窓の向こうの僕は僕が窓の向こうなんだ。」

 窓の向こうの僕がココまで一言もつまらずに言い切ると、疲れたようにぐったりと窓に頭を持たれかけた。

 僕はそんな窓の向こうの僕を見て、なんだかかわいそうになってきた。僕は急に疲れてしまった。だから僕も、窓の向こうの僕みたいに、窓に頭を持たれかけた。

 僕たちはそうして、電車の心地よい振動の中でうとうとしてきた。サラリーマンのメールは全然進んでいないみたいに見える。OLたちのおしゃべりも、まだまだ続きそうだ。

「ねぇ、窓の向こうの僕。」

「なんだい窓の向こうの僕。」

「僕たち今はそっくり同じだね。」

「当たり前だろう。君も僕もお互い窓に映った僕なんだから。」

 電車はトンネルをまだ走っていた。ゴゴゴゴゴゴ。僕の目の前に、少しずつひかりが見えてきた。あ、もうすぐ電車は、トンネルを出るんだ。

「もうすぐトンネルが終わるよ、窓の向こうの僕。」

「当たり前だろう。トンネルはいつか終わるよ」

 いきなり電車は速度を上げたかのように、光がぐんぐん近づいて、大きくなってきた。僕たちはもう半ば目をつむった状態で、トンネルから電車が抜けるのを待った。

 

パァァァァァァァァァッ!

 

 トンネルは終わった。僕はあまりのライトの貧しさに、体が透けていくような感じがした。

 

 そして、窓の向こうの僕は消えてしまった。電車は何事も無かったかのように、暗い夜の町を明るい駅に向かって、猛スピードで駆けていった。   

 

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